●コバのトライアゲインがなんでVPなのか。 |
VISIERE `82の記事より |
当時は再度の規制におびえる遊戯銃組合のプラ・ガン自主規制が強く、撃発メカも制約だらけ、おかげで“売り”のはずのスリーバーストがとても不安定。 当時はVP自体が超先進的で、実銃の認知度も低い事等々が重なり、不完・不遇のMGC・VP−70は短期で生産休止となってしまいました。 その後MGCもエアーガンへ路線変更。かといってパワー重視の単発銃はモデルガン適ではない。そこで私は“連射機能で、強い単発銃に立ち向かえる”DA連射のMGC・93Rを開発。以降、業界全体がDAガスガン時代となる。 数年後、私の終世の良きライバルである六人部氏が、一足先に内部タンク式のガスブローバック方式を発表。これに刺激された私が、93R以来の考案である“リキッドチャージマガジンを合体”させて実用化?した、MGCグロックを創ったのです。 しかし「なに?、そんなオカシな銃を又作のか!」とボスが反対し、私はプッチンしてMGCを退めてタニオコバを創立・・・。そしてはや12年が経過。24歳プラス43年で当然私は68歳!。 一般年齢でいばはケッコウなジジイ!。そう考えてみると後何年“現役でやれる”のか?。そろそろ仕事人として“自分の時計の針を逆読み”しておく時期の到来では?…。 |
当時のVP70特集記事 VISIERE `82 |
という事で、コバを支えて下さったメーカーさんに我侭を聞いていただき、仕事人として体温維持期間中に「コバ10年の自分時計の逆算仕事」としての自費出版的製品シリーズを開始することになりました。 |
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● コバのVP−70M、それはMは実銃ではベリーレアー・コレクターアイテムなのです。 1982年・MGCのVP−70は、グリップにフィンガーチャンネルがあるHkの初期型モデル。その後左右両手でグリップ出来るプレーンタイプのグリップフレームと、コマーシャルタイプのVP−70Zのロストワックススライドを合体させた後期型の改良タイプに変身するのですが、Hkの資料によると、その中間期に、左右両用出来る改良タイプとして、初期型のスライドと、握りやすい後期型のグリップフレームを合体させたVP−70(M)と呼ばれるモデルが少数受注生産であったために、これがどうやらヨーロッパのVPコレクターの究極アイテムらしいのです。 タニオコバのVPは、将来のバリエーション展開を考えると、初期型にも後期型にもオプションパーツで変身が出来るように、また、海外の実銃VPコレクターにとっても、喜ばれるディスプレイガンとして受け入れられるようにと、このVP−70(M)を選びました。 |
●HkのVP−70とは。 ナチス時代の末期に悲しく存在した国民用リサイクルピストルの“フォルクスピストル”。これを原点としてHkが戦後開発していた“Zivil”と呼ばれた研究用オートマティックピストル。これを基本にDAストライカー構造に手を加え、後部にピストルで世界初の三点射機構を組み込んで1970年に開発された政府機関用マシンピストル。それがHkのVP−70である。 スリーバーストも世界最初なら、オールプラスティックの実用化グリップフレームも最初という、当時としてはとてもユニークなマシンピストルだ。 その後これ等のアイディアが、93Rを生み、グロックやUSPといったポリマーフレーム・ガン誕生のきっかけを作ったタクティカルツールの元祖なのです。 しかしVPのこれらのアイディアの誕生が、当時の世界の治安情勢や工業事情から見て先を走りすぎていたためと、あまりにも個性的過ぎて受け入れられず、受注先に合わせたバリエーションの合計で 25,000丁程が作られたが、10年後には廃版となる。なんかこの辺の事情は、まるで23年前のMGCのVPを彷彿させるようで、ちょぴりセンチメンタルだ。 |